阿賀野市の伝統民芸品「三角だるま」作り45年。
だるま作りの達人
今井マス子さん
阿賀野市の名物のひとつに情緒ゆかしく郷土色豊かな味わいを持つ「山口人形」があります。阿賀野市の旧水原地区山口町にある人形店で山口人形作りをされている今井さんは、伝統民芸品である「三角だるま」を作って45年というベテランの職人さんです。かつては、新潟県でも高田と柏崎と見附などでも作れれていましたが、現在作っているのは阿賀野の山口人形「今井人形や」のみとなっています。
現在はマス子さんの息子である今井和博さんが跡を継ぎ、三角だるまをつくっています。
三角だるまは一般的なだるまとは異なり、円錐形という独特の形状から全国各地のだるまの中でも異彩を放っています。
今井さんの作る三角だるまは、赤と青と白の三色あります。大きさは、5センチ位から1メートル近いものまで様々です。
大きいものから赤は奥様、青はご主人、白は子供。赤い奥様が一番大きいという事は、阿賀野では男性よりも女性の方が強いということでしょうか(笑)。
三角だるまのどこかおどけた表情を真剣な眼差しで描く今井さん。
「目と口とヒゲの三拍子揃ってはじめていい表情になるんです。生き生きとして表情の三角だるまを作って行きたいですね。三角だるまは『縁起物』だから結婚式や出産のお祝い、新築のお祝いには付き物なんですよ。こういう伝統民芸品も今じゃ少なくなりました。」と語っておられました。
■制作工程
三角だるまは、粘土で作ったお椀型の底の部分にボール紙の胴体を付て作ります。粘土は「安田瓦」で全国的に有名な、阿賀野市の旧安田地区の瓦屋根に適した良質なものを使い、お椀型の型に粘土を詰め、ちょうど中華鍋のような底を作ります。粘土を整形してひび割れないようにして日陰で陰干しして1ヶ月かけてゆっくり乾燥させます。
底の直径に合せてボール紙を円錐形に巻いて、繋ぎ目を和紙で貼り合わせ、胡粉という白い塗料(貝殻を焼いてすり潰したもの)とニカワを混ぜて2〜3回下塗りをしてよく乾かします。「ニカワ(膠)」とは動物の皮膚や骨や腱の主成分であるゼラチンで、接着剤として使い丈夫になるように塗ります。
色付け前は、全部白い三角だるまになります。
赤だるまと青だるまは、胡粉にポスターカラーの赤と青を混ぜ、ストーブで塗料を湯煎して滑らかにしてから色付けしていきます。
「色は、濃すぎても駄目、薄すぎても駄目なんです。」
配合の分量は「長年の経験と勘で」と語る今井さん。職人技が光ります。
今井さんは、次の世代の子供達にも郷土伝統民芸品の三角だるまを知ってほしいと、年に何度か阿賀野市の小学生達に「職場体験学習」や「図画工作」の授業を通じてだるまの歴史と作り方を教えています。
子供達の作る三角だるまは、それぞれの子供達の個性が溢れ、目と口とヒゲも絶対に同じものは出来ないそうで、好きな形に仕上げて今井さんに見せにくるそうです。
「ふるさとをもっと知って、もっともっと愛して欲しいと願っています」と今井さんは語ります。
三角だるまの歴史 〜山口人形のルーツ〜
今井家の初代「今井伝十郎氏」が人形を作り始めたのは今から180年以上も前の事。二代目、長吉氏までは竹製・木製の玩具でした。三代目長吉氏によって京都伏見人形の流れを汲む「土人形」が作られ、旧水原地区山口町の地名を取って山口人形と呼ばれるようになりました。三角の起き上がり小法師というものは180年以上前からあったのですが、六代目徳四郎氏によって現在の「三角だるま」の形が完成されました。
六代目の徳四郎さんの時、戦争で制作が中断されていましたが、昭和31年に当時の水原町の力強い支援を受けて制作を再開。「三角だるま」は全国的にも有名になりました。
時代の流れにつれ色彩や形に工夫が重ねられ、素朴でありながら独特の横目使いのおどけた表情、また「への字」にぐぅーと引き締めた負けん気あふれる口元は、雪国ならではの辛抱強さと力強さ。とんがり頭を指で弾けば、首をふりふり起き上がる様はいかなる困難にも耐えて起き上がるという、無限の勇気を与えてくれます。
現在は今井マス子さんの息子、今井和博さんが跡を継いで作っています。